伝統工芸・地方工芸

秋田の伝統工芸:「秋田塗り」 の齋藤 國男さんの工房に行ってきました。

秋田の伝統工芸:「秋田塗り」

朱塗りの明るさと柔かい手ざわりの秋田塗りは、秋田市のうるし工芸を代表するものです。

うるし工芸には、塗りわんやお盆などがあり、冠婚葬祭のときのほか、日常生活用品として古くから私たちになじまれています。

「秋田塗り」は朱塗りの明るさとデザインの新鮮さ、そして基調としている朱色を黒で枠どり使っていくにつれ味があるのが特徴です。

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製品は、小鉢、盆、小箱などさまざまあります。

うるし工芸は、製品にうるしを塗り、乾かしてからみがき、また塗るという地味な作業のくり返しです。秋田塗りもこのように地味ながら、高度で精密な仕上げが要求されます。
うるし工芸について齋藤 國男さんは、「伝統という枠にとらわれずに、ニーズにあったデザインや技術を組み合わせて仕事をしたい」と語っています。

作品はとてもおしゃれなものが多く感動しました。

手にとると漆塗りの潔白さのなかにためいきが出るほどの温もりを感じるそのデザインは、美術工芸品という価値を超えた作品です。

伝統工芸の秋田塗りには、伝統にとらわれない新しい造形感覚をみることができます。
そして、驚きと職人の理や哲学を感じられると思います。

おじゃましました齋藤 國男さんの
詳細はこちら
http://akk.garyoutensei.com/kaiin_pop_kunio_s.html

写真は作品および工房を紹介してます。
うつわがとっても綺麗で軽いのが印象的でした。
最後に箸もいただきまして齋藤 國男さんありがとうございます。

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秋田の伝統工芸:ぜんまい織(ぜんまいおり)

秋田の伝統工芸:ぜんまい織

秋田の伝統工芸のぜんまい織につかうぜんまい綿は水をはじき、羊毛にも似たやわらかさと独特の自然色を持っています。
山間に自生するゼンマイを摘み、ぜんまい綿を採取し、これを絹と混合して緯糸にして織り上げたものがぜんまい紬です。

ちなみに、ぜんまいの綿毛には防虫・防カビ効果があり、このぜんまいの綿毛を、水鳥の羽毛や真綿などと一緒に紡ぎ、織り上げます。

織られたぜんまい織は、親子代々着てもいたみが少なく、色が褪せてきたら裏返しにして着れるものでとても丈夫です。
工程について、
5月初旬、春の味といわれるぜんまい採りが始まります。食用になる茎と織物に用いる冠毛とに分けられ、
さらに、「雌」のぜんまいの冠毛(綿)についているゴミを手で取り除き、「日陰」でよく乾燥させます
そして、8月になると、乾燥させた冠毛を90度ぐらいで蒸し、乾燥させた後真綿と混合し綿状にします。
糸車を用いて手作業で綿より糸を紡ぎます。 同じ太さの糸にする作業だけでも、
習得には数年かかると言われます。
染色には化学染料を一切使用せず、すべて自然の植物を使って染め上げます。
着尺分に少し余るくらいの糸の長さにして染め上げます。
不足して後から染めると色の違いが出てしまうので注意が必要なのです。

最後に、経糸(たていと)は絹を用い、緯糸(よこいと)には真綿の手紡ぎ糸を
使用します。緯糸の真綿にはぜんまいの綿毛や水鳥の羽毛が一緒に紡がれています。
現在は二人の伝統工芸士が伝統を受け継いでます。
彼女らは天鷺村にてぜんまい織をしており、彼女たちに指導が受けられる体験コーナーもあるそうです。

http://www.amasagi.com/modules/gnavi/index.php?lid=14

伝統工芸の弟子入り

伝統工芸の弟子入り

 

伝統工芸の技を身につけても、工房の場所探しから機械や材料をそろえて始めるのはなかなか大変なことです。しかも販売ルートの開拓も必要になるわけですから、個人で仕事につなげるのはかなり大変だと思われます。そこでお勧めするのが、わずかの給金でもいいから、自分が気に入った職人さんの居る工房やメーカーなどの求人に目を通し、求人がなくても出かけて行って、アドバイスなどを聞くのもいいのではないかと思います。

 

 

江戸時代から始まっている手工業や商業の分野での徒弟制度的な感覚で、訓練をさらに深めるのもいい方法です。当時は10年単位で契約を交わし、親方の家に寝起きする形で、無報酬で仕事などの手伝いをしたのですが、今ではほとんど見られなくなりました。でも、少なくとも住みこみではなく、通いのお弟子さんがいたというのは最近まで見られたのです。うなぎ屋さんであれ、染色の仕事であれ、わずかのお小遣いをもらいながら、年季があけると、独立するので、その際には様々な援助が親方からもらえたと言います。

 

 

ですが、今では、この弟子入りという制度も難しくなったのにはわけがあります。その第1は、不景気なので、職人仕事が減り、下仕事のために必要だった弟子が必要なくなってきたことがあります。仕事が少ない時に、たとえ小遣いでも渡してまで仕事を頼むことが難しいこともあります。或いは、現在残っている職人さんがほとんど高齢であるため、指導するのが大変だと言う問題もあります。

 

 

ですが、これらの問題は、考え方次第で、弟子入り希望者にはメリットとも言えるでしょう。給金を期待しない、高齢の親方にせめて力仕事などでの手助けを覚悟するなどができれば、今の時代は古き良きものを大切にしようと願う若者がふえているのですから、ある意味で、職人さんの出番でもあるわけです。先日、私は母親の古い桐たんすを修繕するために、東京墨田区の桐職人さんと連絡を取りました。なんと、桐たんすを修繕したいと希望するお客さんが多く、非常に忙しいとのこと。そして、出来上がったたんすを持ってきてくれたのは、おそらく70歳を超すお二人の職人さんでした。私ですら、弟子入りしたいと思ったほどでした。

職人になるには

職人になるには

 

いま、古を見直す私たちにとって、伝統工芸に携わる仕事ができたら、ある意味、とても自慢できることかもしれない。第一、そんな仕事が好きな人にとっては、さらに魅力ある仕事になるかもしれません。でも、周囲にそんな人がいない場合、どのような方法で、伝統工芸を身につけ、職人になればいいのか、皆目わからない人も多いのが実情です。では、簡単に様々な伝統工芸への道をご紹介しましょう。

 

 

まずは、独学で伝統工芸の技を身につける方法です。図書館の本からでも、作り方を学ぶ。ホームページなどから、材料や道具をそろえるなど、まずは日曜大工と同じですね。マイペースでできるのがメリットですが、指導者がいないので、限界はいずれ出てくると思いますし、材料費もかなりかさむと思います。或いは販売先を見つけるのが大変ですね。

 

 

では、さらに一歩進んで、体験教室に参加するのはいかがですか?特産の伝統工芸には、ほとんどの場合、体験教室が設けられています。それを見つけることができれば、趣味であれ、いつの日にか仕事にするのであれ、よい経験ができるとおもいます。教室で学ぶ場合は、順を追っての指導が無駄なく受けられますので、とても役に立つのです。ここでの体験を元に、さらに自分流のアイディアなどを加えたり、先生とのつながりで販売先が見つかる場合もないわけではないでしょう。

 

 

ただし、どんなに環境を整えても、一番必要とされるのは本人のやる気です。伝統工芸に限らないことですが、仕事というのは体で覚えることが大切なものです。専門学校ではそこまで十分な対応は期待できないのですから、本人次第ということになるのです。いつの日か職人と言われるようになるためには、自分のやる気だけは失せないように、地道な努力が必要ですね。

福島県の伝統工芸:土湯こけし

福島県の伝統工芸:土湯こけし(つちゆこけし)

 

土湯こけしは土湯温泉ととても関わりの深い工芸品です。

土湯温泉は聖徳太子の使者が湯治を行ったという伝説が残っているほか、歴史書である吾妻鏡にも記載があるほど古くからその存在が確認されている温泉です。

そんな土湯温泉の名物となっている土湯こけしは160年の歴史を持つ伝統の工芸品です。

土湯こけしを最初に作ったのは佐久間亀五郎という人物だといわれており、この人物が160年前に最初の土湯こけしを作ったとされていますが、この頃は現在の土湯こけしとは少し様子が違っていたと考えられています。

 

 

土湯こけしの一番の特徴はその首がはめこみ式になっており、くるくると回転するところにありますが、最初に作られたこけしは首が回らないものでした。

後にこの佐久間亀五郎の長男が首の回るこけしを考案したことで、現在の土湯こけしが誕生したといわれています。

こうして誕生した土湯こけしが現在に至るまで伝統の技術を受け継ぎ、作り続けられているのです。

 

 

土湯こけしは他のこけしとは違い、少し小さめで胴が細く、首が回るところが特徴です。

この首が回る時にきいきいと音が出て、この音がかわいらしいと人気です。

外見は大振りな前髪と大きく描かれた髪飾りが愛らしく、胴は赤、緑、黄色の縞が入っていてとても鮮やかです。

人形の命でもある顔はたれ鼻でおちょぼ口ととても愛らしく、その表情も人気です。

土湯温泉にはこけしのオブジェもあり、温泉と共に愛らしいこけしを楽しむことができます。

福島県の伝統工芸:会津塗

福島県の伝統工芸:会津塗(あいづぬり)

 

会津塗は福島県会津若松市を中心とした地方で生産されている漆器で、その歴史は古く、安土桃山時代にまで遡ります。

豊臣秀吉が天下を治めていた時代、当時の会津藩主が産業として奨励したのが会津塗発展の始まりでした。

 

 

もともとこの地には漆の木を植えることが奨励されていたため、漆には事欠かない土地柄で、そこに近江から漆器職人を呼び寄せ、その技術を人々に広めたことにより、漆器がこの地方での一大産業へと成長しました。

その後、京の蒔絵技術を取り入れることにより、芸術的な価値も増した会津塗は、江戸時代中期になると幕府の許可を得て海外へ輸出されるまでに成長し、会津は漆器作りの町としてその名が全国に知られることとなりました。

 

 

明治維新の際には戊辰戦争の影響を受け、一時衰退してしまいますが、明治時代中期には復興を遂げ、現在のように漆器の一大生産地としての会津が復活しました。

会津塗生産の一番の特徴はその製造工程を職人が分業で行うところにあります。

分業で作業するため、より高い品質を保持しながら効率よく漆器を生産することが可能なのです。

 

 

その伝統の技術と品質の高さが認められて昭和50年に伝統的工芸品に指定されている会津塗の特徴は多彩な塗りの技法とその図案にあります。

「鉄錆塗」や「木地呂塗」といった様々な塗りは使う人を飽きさせることなく、今も人々に愛され続け、会津塗でよく使われる縁起のいい図案は使う人の生活を彩り続けています。

栃木県の伝統工芸:結城紬

栃木県の伝統工芸:結城紬(ゆうきつむぎ)

 

ただ単に紬と呼ばれることもある結城紬は、その生産地として茨城県結城市が有名ですが、栃木県の小山市周辺でも生産されています。

結城紬という名前から結城市で生産されていると思われがちですが、結城の名は結城紬を奨励した氏族の名前でもあり、その結城氏が小山氏の傍系でもあることから小山市周辺で作られているものも結城紬として問題はありません。

 

 

結城紬の起源は奈良時代にまで遡るといわれていますが、もともと養蚕が盛んだったこの地方に農閑期における農家の内職として始まったとも言われており、実際に特産品として評価を獲得したのは室町時代に領主であった結城氏が幕府に献上したためでした。

真綿から糸を紡ぎ、染め、織りなどの全ての作業を現在も伝統の技術を守りながら丁寧に行っており、丹精こめて作られた織物は大変丈夫で、親子三代までも使用することができるといわれるほどです。

 

 

現在では芸術的な価値も認められ、1956年には国の重要無形文化財として指定され、我が国を代表する手織り紬となりました。

しかし、2004年には重要無形文化財としての条件を満たしていない反物が存在していたことが品質検査で明らかになるなど、有名で高級な織物なだけに贋作問題も発生しました。

現在は厳重な品質検査が行われており、2005年には改善が指導されて新たな証票が発行されています。

その作業のほぼ全てを今も手作業で織り上げられる結城紬は丈夫なだけでなく、軽くて温かいという特徴を持っており、現在も大切に長く重宝される織物です。

大阪府の伝統工芸:和泉櫛

大阪府の伝統工芸:和泉櫛(いずみぐし)

 

大阪府貝塚市は古くから櫛の生産をしていたことで有名な土地で、日本最古の櫛の生産地とも言われています。

和泉櫛はその貝塚で作られている櫛で、発祥に関する伝承では仏教が伝わった直後、6世紀頃のこと、偶然にもこの地に漂着した異国人が、8種類の器具を使っての櫛作りを里の人々に伝授したのがこの地での櫛作りの始まりだと伝えられています。

 

 

1710年には貝塚市に100人を越える数の職人が存在し、宮中などに櫛が納入されていたという記録が残っており、発祥の伝説が真実であるかどうかは確認できないものの、この頃には既に櫛作りが盛んに行われていたことがわかります。

江戸時代中期には最盛期で500人を越える職人がいたとも言われており、貝塚市における櫛の生産がみるみるうちに盛んになっていったことがうかがえます。

和泉櫛に使われる材料は「ツゲ」と決まっており、この「ツゲ」こそが和泉櫛の品質を保ち続けているといっても過言ではないでしょう。

 

 

「ツゲ」はプラスチックなどと違い、静電気が発生しづらく、髪を傷めないという特徴があるからです。

特に国産の「薩摩ツゲ」を使ったものが最高級品だといわれており、現在はなかなか入手が難しくなっています。

 

 

長い歴史を持つ和泉櫛は現在もその製造過程のほぼ全てを手作業で行っており、歯の一本一本がなめらかになるよう、手で丁寧に仕上げられています。

そのため、使い込むほどによくなじみ、髪の通りがよくなり、手にもしっくりくるので長く愛用する人が今も少なくありません。

静岡県の伝統工芸:森山焼

静岡県の伝統工芸:森山焼(もりやまやき)

 

森山焼は静岡県周智郡森町で作られている陶器です。

森山焼の名前は生産されている森町森山という地名からつけられたもので、その発祥は明治42年です。

室町時代に始まり、江戸時代中期にはかの有名な小堀遠州によって遠州七窯に数えられた「志戸呂焼」の流れをくんでおり、そのため、発祥自体は明治42年と比較的新しい森山焼ですが、その風格は立派なものです。

明治42年、中村秀吉氏が志戸呂から陶工を招き、生産を始めたのが最初とされ、以来、多くの陶器を生産し続けてきました。

 

 

最初は一人の陶工が生産することから始まった森山焼ですが、現在では窯元も四つを数えるまでになり、人々に愛される陶器を生み出しています。

その製造工程は現在もほぼ全てが手作業で行われており、陶芸に適した土を探すことから始まります。

その土を乾燥させ、粉末にし、粘土にするだけでも一週間から十日ほどかかり、その後、陶芸ではおなじみの土練りや成形に入ります。

素焼きを施してから釉薬をかけて更に焼き、全ての作品に入念なチェックが入れられてやっと森山焼の完成です。

 

 

こうして丁寧に作られている森山焼は四つの窯元それぞれに特徴がありますが、中でも有名なのは真っ赤な釉薬を使った赤焼と呼ばれるものです。

この他にも虎布と呼ばれる森山焼独特の釉薬も受け継がれており、どれもが茶人であった小堀遠州が愛した志戸呂焼の流を汲むにふさわしい、渋みのある風合いの素朴な作品となっています。

山形県の伝統工芸:山形仏壇

山形県の伝統工芸:山形仏壇(やまがたぶつだん)

 

山形県はその昔から漆の木が多く、良質な漆を採取することができたため、漆工業が栄えていた土地でした。

そんな山形県に仏壇作りが伝わったのは江戸時代中期のことです。

 

 

この頃、寺院建立のため京から招いた仏師や宮大工が仏壇作りの技術を人々に伝えたのが山形仏壇の始まりだったといわれています。

この技術を元に木彫りの技を学び、そこにもともと山形県でさかんに行われていた漆工業の技術を取り入れることにより、山形仏壇は現在のような姿へと完成していきました。

明治時代になるとそれまではっきりしていなかった製造作業を七つに分けて分業制とし、このおかげで大量生産することができるようになりました。

大量生産の影響は大きく、これ以降、東北のみならず北海道にまで山形仏壇が流通することになったのです。

 

 

伝統的な仏壇の産地としては最も北に位置していることで有名な山形仏壇はその品質にも定評があり、昭和55年には伝統的工芸品にも指定されました。

山形仏壇の一番の特徴は堅牢で荘厳なその外見にあります。

仏壇というと中には派手なものも存在しますが、山形仏壇はその金具に至るまで落ち着いた美しさが追求されており、先祖へ手を合わせる場所という意味でこれほどふさわしい落ち着きのものはないでしょう。

木目を出した塗りはその木のぬくもりをそのまま私達に伝えてくれており、漆と古くから付き合い続けてきた山形地方ならではの味わいが山形仏壇には今も息づいています。

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